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Channel: シロクマの屑籠
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40代の終わりに、年の取り方について私が考えていること

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残り時間がどれぐらいかわからないなかで、どう日々を過ごし、年を取っていくか。
 
1975年生まれの私は、今、40代最後の時間を過ごしている。40代のはじめのうちは、中年になったことの驚きがあり、そこに今までに無い面白さを見出していた。その驚きと面白さを言語化したのが『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』だったが、5年以上の歳月が流れ、当時の驚きと面白さは過去のものになった。老年期が始まった時に再び面白さと驚きを発見するかもしれないが、現在の私は中年期のたぶん真ん中にいて、とにかく中年をやっている。
 
そうしたなか、40代最後の時間を全力で駆け抜けてきた。寿命が縮むような橋も渡ってしまっただろう。そのかわり自分がやりたいことをやりたいように・悔いの残らないように挑戦できたのはとても良かったと思う。
 
年を取っていくスタンスには大きな個人差があり、年齢の数字にこだわらず、自然体でやっていくのが良い人もいらっしゃるのではないかと思う。私はその反対だ。学生生活の終わり、思春期の終わり、四十代の終わりといった節目を強く意識する。意識したうえで、節目の区切りまでにやっておいたほうが良さそうなこと・やっておきたいことを全力でやっていくスタイルに馴染んできた。もちろん人生の全区間を全力疾走するのは不可能なので、全力疾走するのは節目を迎える直前の1~3年程度だ。私の場合、その節目の直前にダッシュする1~3年がいつも重要で、それが人生に"革命"や"技術革新"をもたらしてきた。
 
「p_shirokumaは、人生の節目節目を『宿題』をやっつける〆切に使ってきた」、とも言い換えられるかもしれない。今までどおりに生きる数年と、これまでの生活や取り組みを見直し、次の数年を見越して全力疾走する1~3年が交代にやってくるのが私のライフスタイルだったし、それが気に入ってもいた。少なくともこれまではそれで良かった。今回もそれができて本当に良かった。
 
でも、これからはどうだろう?
 
 

全力疾走できるチャンスが次もあるとは限らない

 
繰り返すが、私は40代の終わりまで年を取った。
これは、現代社会では平均寿命よりもずっと若く、したがって、人生がまだまだ残っているようにみえる年頃かもしれない。
 
でも私はそういう風には考えない。なぜなら命は儚く脆いものだからだ。年を取れば取るほど、命の儚さ、脆さ、先の見えなさは深まっていく。命ってそういうものではなかったか?
 
生物学的に考えた場合、人間の寿命はそれほど長く品質保証されているとは思えない。もちろん、たまたま長く生きられた人は江戸時代にも古代ギリシアにもいただろう。だけどそれは幸運と強靭の賜物でしかなかったし、たとえば生殖機能などは三十代後半から急速に落ちていく。「更年期」という言葉もあるが、私にも無関係ではない。加齢によって機能が低下するのは、大脳新皮質より、テストステロンやエストロゲンといった内分泌機能のほうが先ではなかっただろうか。私の場合、更年期障害と呼べるほどの苦しみには直面していないけれども、20代や30代の身体とはだいぶ違っていると感じている。もう、若かった頃と同じように自分の身体を取り扱うことはできない。ちゃんと中年の身体にあわせたマネジメントが必要で、相応に労わらなければこの身体はすぐに壊れてしまう、と思うようになった。
 
それにがん(悪性新生物)などのリスクもある。がんのリスクファクターを回避することは可能だし、健診や人間ドックをとおして早期発見を目指すこともできる。でも、絶対にがんを防止できるわけではないし、早期発見をしたからといって、必ず治るものとも限らない。
 
だとしたら。
60代70代と年を取るにつれ、もっと身体は変わっていくはずで、もっと身体をいたわらなければならなくなるはずだ。実際、年を取るにつれ、人は健康について話題にするようになる。そもそも、いったい何歳まで自分が生きていられるかなんて、本当は誰にもわからないのである。平均寿命という言葉は平均の話でしかなく、自分自身の話ではない。その前提で自分の身体をいたわり、その前提で今を生きている自分自身を使っていかなければならないと思う。
 
だから私は、まず今を生きたいし、実際、今を生きている。
もちろん現代人のたしなみとして老後の備えは意識している。けれどもそれは老後という、実際に到来できるか不透明な事態への備えであって、さしあたって絶対確実なのは「今、私は生きていて、活動ができている」ということのほうだ。だから私は40代最後の時間をしゃにむに駆け抜けてきたし、もうちょっとだけ駆け抜けたいと思う。まだ駆け抜けられるうちに。まだ活動できるうちに。そういう活動が今できていることを幸運にも思う。明日になれば、その活動は中断を余儀なくされるかもしれない。中断を余儀なくされるのは、自分自身の健康状態のためかもしれないし、家族の健康状態、たとえば介護にまつわる諸問題のためかもしれない。そうした活動中断の事態に備えておくのも大切だが、それらを顧慮しなくて構わないうちに活動してしまうのも、同じく大切なことだと私は信じている。
 
 

「自分のために頑張る」から「そうでないどこか」に変わっていけるか

 
それからもうひとつ、いつまで自分のために今を生きるのか・自分のなしたいことに中心軸を置き続けるのか、という問題もある。
 
これは、子育てが始まった時から意識するようになったことだが、自分の成長よりも誰かの成長が喜ばしかったり、地域などへの貢献が喜ばしかったりする、そういう一面が人生にはあるなぁと思うようになってきた。私は欲深だから、自分自身の成長を捨てると割りきったわけではない。だけど、自分の成長だけが人生の楽しみではないことまでは薄々見えてきている。自分の成長・自分の成功だけがうれしいわけじゃない──人生のそういう側面にもっと光を当てられたら、景色はなお一層変わってくるんじゃないだろうか?
 
こういう可能性について見せてくれたのは、5~10歳年上の先輩精神科医の先生がただ。私は彼らを精神医学の師とみると同時に、ライフスタイルのロールモデルとみなしてきた。そうした年上の先生がたはたいてい、50代にもなれば研究の最前線からはやや退き、後進の育成や地域への貢献に多かれ少なかれ軸足を移していた。私は、そういう年上の先生がたのライフスタイルを「そういうもの」として受け取ってきたので、自分もそうであったら好ましいなと想像する。そのように生きられるかはわからないし、案外、欲深な私は自分自身の探求心にとらわれ続けるのかもしれない。だとしても、もし自分の人生の軸足を変えるとしたら、年上の先生がたのライフスタイルを参考にしたいと思う。
 
今を精一杯生きつつ、子育ても含め、少しずつ「自分のために頑張る」ではないどこかへ軸足を移していく──私にとって理想の年の取り方のイメージは、だいたいそんな感じだと思う。繰り返しになるが、それがどこまで自分に可能なのかは本当はよくわからないし、50代を迎えても60代を迎えてもそこは人生の新天地で、私は驚いたり面白がったりするのだろう。苦しむことだってあるに違いない。ただ、人生の先輩がたの足跡のおかげでノーヒントではないので、それらを参考にしながら残りの時間を生きられるだけ生きられたらいいな、と願っています。
 
 


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